しあの巣

読書やゲームや美術館めぐりなどの日々の記録

落下、落下、落下『ヨハネスブルグの天使たち』宮内悠介

#SF #アンドロイド

短編集を通して登場するDX9という歌姫アンドロイド*1がぼんやりした―安価で自動兵器並に人を殺すことが出来て人格を転写することさえ出来るという―設定なので流石に現実味がなく、あまり魅力的ではなかった。DX9はひたすら落下してるんだけど、魅力を感じないものが落下しててもふーんとしか思えず、あまり楽しめなかった。紛争地帯がーとか民族間の闘争がーとかいうテーマに興味がないことも大きな理由だと思う。以下短編ごとのざっくりした感想。

山形氏のブログを読んでから粗しか気にならなくなってしまってもうだめ。ストーリーの流れと後半のすっ飛び方がよくわからない。

  • ロワーサイドの幽霊たち

とりあえずもう一回突っ込ませたかっただけだろそれ!という感じ。実験的な作風は面白かった。

  • ジャララバードの兵士たち

ミステリ的。<種子>の発想とその皮肉さがわりと良かった。

  • ハドラマウトの道化たち

宗教。「人格を転写」とか軽々しく言うのは気になってしまう。アイディアは面白そうだけど添え物で結局描かれているのは一兵士の無力さくらいでよくわからん。

  • 北東京の子供たち

退廃。設定に無理があることを踏まえても雰囲気が良かったので好き。

*1:初音ミクだろう

野﨑まどオールスター!大混戦スマッシュブラザーズ『2』野﨑まど

#ライトノベル

2 (メディアワークス文庫)

2 (メディアワークス文庫)

野﨑まどオールスター!って言いたかっただけです。
ネタバレ多めの感想。以下続きを読むでどうぞ。

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お伽話?いいえ、風刺小説です『ガリヴァー旅行記』スウィフト、平井正穂訳

#風刺小説

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

 読み疲れた。というのもガリヴァー旅行記はお伽話ではなく風刺小説だし、人間嫌いが全面に打ち出されていて少し辟易するし、国家論について延々ページが割かれて飽々するし、風刺小説だから元ネタありきで楽しむものなのだろうと感じてしまうし、読みすすめる指が重たかった。政治や国家論が好きな人、出版当時(1726)のイギリスのことを知っている人、皮肉が好きな人には面白いと思う。
 お伽話としてのガリヴァー旅行記は「小人の国(リリパット国)」「巨人の国(ブロブディンナグ国)」で止まってしまうようだが、原作ではその後にも「ラピュータ、バルビバーニ(飛ぶ島)」「グラブダブドリッブ(死者を蘇らせる国)」「ラグナグ(不死者の国)」「日本」そして「フウイヌム国(馬の国)」へと旅している。前述の通り、本書は延々と風刺が続いて段々うんざりしてくるのだけど、「フウイヌム国」では、人間の入ることが出来ないユートピアを描いていて面白かった。
 フウイヌム国は理性を持った馬が支配する国で、人間は「ヤフー(yahoo)」と呼ばれ野蛮な家畜として扱われている。対して馬はどこまでも理性的で、

これらの気高いフウイヌムたちは、あらゆる美徳を好むという先天的な性質を生来与えられており、したがって、いやしくも理性的な動物に悪が存在するということは、とうてい考えることも見当もつかないのである。(p.379)

と評されている。ヤフーの方はというと、人間が家畜になっているのだから奴隷のような状態…というわけではなく、かなり猿に近い。しかしフウイヌムによって主人公ガリヴァーの語る人間社会と、野蛮なヤフーの社会が似ていることを指摘されると、ヤフーとは人間の本質であるということを読者は察することが出来る。そしてガリヴァーは理性の塊のようなフウイヌムを崇拝し、ここでずっと暮らして思索にふけりたいなどと考えるようになった。
 しかしガリヴァーはこの楽園を追い出されることになる。フウイヌムの会議でガリヴァーを飼っていた主人が「野蛮な動物であるヤフーを家人同然に扱っているのはけしからん、家畜として扱うか追放すべき」と言われ、結果的にガリヴァーはこの国から追放されてしまう。美しく気高い心を持った者達の国に、ガリヴァーは永住することが出来なかったのだ。その後イギリスに戻ってからはヤフー同然の人間社会が完全に嫌になってしまい、家族ともなるべく会おうとせずにひたすら馬小屋で馬を眺める人となってしまう。
 どこまでも理性的なフウイヌムを畏敬するまではいいのだが、結果的にとても理性的な人間とは思えない行動を取っているのは皮肉が上手く効いていて良かった。他の話も同様に人間社会への皮肉が盛りだくさんで、スウィフトの着眼点の鋭さが光っていた。出版から290年ほどたった今でも通用するものがあり、流れる時に耐え抜いてきた古典の重みというものも感じた。そして、疲れた。

"笑い"を追求する男『火花』又吉直樹

#芥川賞 #漫才師

火花

火花

 芥川賞を受賞し、何かと話題になっていた『火花』。読む前はお笑い芸人が芥川賞を獲ったとか、著者は太宰が好きだとか、又吉直樹に関する話題ばかりが耳に入っていた。しかし読んでみればそんなことは些末事だった。”笑い”を追求する人たちの漫才観を見ることの出来る話。
 登場人物は、本気で笑いを目指す芸人「神谷」と、神谷を師匠と呼ぶ少しひねくれた芸人「徳永」で、他の人はほとんど出てこない。この神谷がまたくせ者で、漫才師は面白い漫才が絶対的な使命だと信じ、そのためならなんだってやる人間なのだ。しかし"面白い漫才"とは努力で到達できるものではない。例えば大学受験なら、勉強すれば合格する確率は高まるわけで、もし才能がなかったとしてもがむしゃらに勉強していれば大抵の大学は合格できるだろう。しかし面白さは……どうやったら到達出来るのだろうか。
 神谷は"面白いかどうか"を絶対的な尺度として持っている。面白いなら下ネタだって言うし、観客に喧嘩を売るようなネタだってやってのける。しかしその"面白い"は自分基準であって、他人がどう感じるかはまた別の問題だ。例えば、あるとき神谷は公園で泣いている赤ん坊に自分のネタを披露するのだが、言葉も分からない赤ん坊にネタをやったって通じるはずがない。徳永は赤ん坊に「いないいないばあ」をした後、神谷の行動についてこう考えている。

神谷さんは「いないいないばあ」を理解していないのかもしれない。どんなに押しつけがましい発明家や芸術家も、自分の作品の受け手が赤ん坊であった時、それでも作品を一切変えない人間はどれくらいいるのだろう。過去の天才達も、神谷さんと同じように、「いないいないばあ」ではなく、自分の全力の作品で子供を楽しませようとしただろうか。僕は自分の考えたことをいかに人に伝えるかを試行錯誤していた。しかし、神谷さんは誰が相手であってもやり方を変えないのかもしれない。それは、あまりにも相手を信用しすぎているのではないか。だが、一切ぶれずに自分のスタイルを全うする神谷さんを見ていると、随分と自分が軽い人間のように思えてくることがあった。(p.79)

 神谷は愚直なまでに自分の求める面白さを追求していた。対して徳永は、相手が面白いと思ってくれる方法を探していた。同じ面白さを求めていながら、はっきりと異なる道を歩んでいたのだ。
 ときどき、twitterで「◯◯できる人が心底羨ましい」というpostを見かけることがある。それは技術の有無を意味せず、そもそも◯◯しようとする情熱を羨ましがっているようだ。絵でも、楽器でも、創作でも、それを行う前に「描きたい」「ピアノが楽しい」「創作したい」という思いがあるだろう。何かを楽しむ情熱、心の動きを羨望しているのだと思っている。その気持はいままであまり分からなかったが、神谷と徳永の断絶のようなものだと思えば良いのだろうか。
 神谷は尊い。あまりにも高い理想を掲げ、狂気の沙汰のようなことを幾つもやって、人から評価されないままで、それでも面白さを追い求めている。想像でしかないが、神谷にはおそらく作者の理想が詰め込まれているのだろう。彼の言葉はあまりに直接的で、時には作者が透けて見えるようなときもある。こういったところは少し荒削りだったが、それを差し置いても、理想に生きる人を見ることができたのは、良い読書体験だったように思う。

天才数学者(10)友達を作るの巻『パーフェクトフレンド』野﨑まど

#ライトノベル #ミステリ

 パーフェクトフレンドの良さは、なんてったって表紙絵が可愛いことに尽きる。裸足で歩いているというのがまたフェチい。以上。
 というわけで野﨑まど行脚中。相変わらず天才少女でドスコイする話(概ね)だった。さなかちゃんの天才設定はやはりなんとも言えない説得力のなさがあったけど、表紙が可愛いから良かった。多分ミステリなんだと思うけどやっぱりよくわからない。すべては小四パワーで許される。

『時間的無限大』スティーヴン・バクスター著、小野田和子訳

#タイムマシン #量子論

時間的無限大 (ハヤカワ文庫SF)

時間的無限大 (ハヤカワ文庫SF)

 本書を読んだきっかけはよく覚えていない。イーガン以外のハードSFを読みたくて読みたい本リストからピックアップした覚えはあるんだけど、そもそもどこで知ったのか思い出せない。ド嬢だろうか?分からないけれど、目的通りハードSFの醍醐味はがっつり味わうことが出来た。
 時間的無限大は、ワームホールによるタイムトラベル物かつ、宇宙から到来した支配者クワックスに対抗する人類を描いた物語だ。こう書くだけでも中々重たそうだが、さらに「ウィグナーの友人」なる謎の宗教団体、宇宙船として発達した生命体スプライン、謎に満ちたクワックスの生態、等々SF的要素がぎっしり詰め込まれている。
 ハードさについて付け加えておくと、物語の核となるワームホール論や「ウィグナーの友人」については相対性理論量子論を全く知らない場合読んでもよく分からないと思う。本作に出てくるワームホールは理論的に可能なタイムマシンらしいのだが、実際私は相対性理論について全く知らない状態で読み、ワームホール周りの話が全然わからなくて苦しかった。対して「ウィグナーの友人」については、量子論の絵本(NEWTON)を読んでいたのが幸いして比較的理解できたように思う。
 そんなわけで、本書で一番面白かった部分は「ウィグナーの友人」の思想だった。彼らはクワックスの支配下にある地球から密かに脱出し、木星にあるワームホールを通って1500年前の太陽系に向かったのだけれど、その目的を探ることも本書の醍醐味なのでここでは省略しておく。ただ、この「ウィグナーの友人」という名前には由来があるのでそれだけ紹介する。
 これは「シュレーディンガーの猫」を発展させた思考実験だ。まず密室の中にシュレーディンガーの猫セットを置き、ウィグナーの友人に猫の生死を観測してもらう。ここまではシュレーディンガーの猫と変わらず、ウィグナーの友人が箱を開けた瞬間に猫の生死が確定するとしよう。では、ウィグナーの友人が密室の外に出てウィグナーに猫の生死を伝えたとき、ウィグナーにとって猫の生死が確定する瞬間はいつなのだろうか?友人から猫の生死を聞いた瞬間だとすれば、ウィグナーにとって密室がシュレーディンガーの猫と同じ状態になる。このようにして観測者は無限に増えることが出来る。
 「ウィグナーの友人」はこれを宗教的教義にまで発展させる。その論理展開には飛躍があるものの、この思考実験からある程度筋の通ったものを導き出す過程がとても面白かった。

ノベルミステリ『小説家の作り方』野﨑まど

#ライトノベル #ミステリ

小説家の作り方 (メディアワークス文庫)

小説家の作り方 (メディアワークス文庫)

小説家の作り方だが小説家の作り方ではなかった。ところどころメタい。天才が出ない分他の作品よりは好きかも。
50万冊ドーン!はい!みたいなアレは今時無理があるだろって辟易しちゃったけど、それを踏まえてもキャラクターとしては可愛かったのでよかった。紫さんの脳内イメージは鷺沢文香だった。

「いやまぁSFでもいいんだけどさ……でもお前が好きなのってハードSFだろう?」
「何か問題が?」
「売れない」

悲しい。

雑感

本編とは関係のない雑感。
野﨑まどの話はミステリとして捉えれば良いのかもしれない、と思ったけれど、ミステリもどう楽しんでよいのかよく分からないので結局楽しみ方がよくわからない。ううむ。ミステリ経験値を積むべきなのだろうか。森博嗣は積んであるし何冊かは読んだけれど、あれも犀川先生と萌ちゃんを楽しんでいるからミステリとして楽しんではいない気がしている。よくわからない。せめて楽しめていない要因を突き詰めたい。要因が分かっても楽しめなければ、私には合わなかったということで一つ。